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黒川幼稚園 流山園舎

 

ごあいさつ

黒川学園の理事長と流山園舎の園長の声をお届けします。千葉県で運営される幼稚園で展開されている教育内容や、黒川アカデミーグループが歩んできた歴史とその軸にある理念などがご理解いただけます。


❒ 理事長からのごあいさつ

黒川 信太郎

Shintaro KUROKAWA

黒川学園 理事長

受け継いでいくべき黒川学園の精神

私の祖父である黒川信次は、戦前からの夢である「そろばん日本一」を叶えるために、昭和21年2月1日、東京都荒川区の豆腐屋の一室でそろばん塾を開きました。これが黒川学園の始まりです。その後地元の子どもたちの教育環境のさらなる充実のため、昭和30年に幼稚園を併設しました。幸いなことに、そろばん塾の卒業生を中心とした後の学園を担う人材も育ち、昭和39年には足立区、昭和50年には流山市に新たに幼稚園を開園することになりました。当初はすべて木造でしたが、園舎の増改築を経て、現在の姿になっていきます。

 

時代の変化とともに、黒川学園も変わっていきます。日本の経済成長とともに学園も順調に拡大してきましたが、祖父や周りの職員が年齢を重ねていくとともに、社会も変わってきました。少子化、課外活動の選択肢の充実、共働き世帯の増加、近隣の保育施設の増加など、創業時にはなかったような条件の下、黒川学園を運営していく必要に迫られるようになっていったのです。

 

そんな状況の下、祖父から運営を引き継いだ私の父、黒川信一郎はまず、施設の充実に力を注ぎました。荒川園舎、軽井沢寮は建て替えられ、足立園舎と流山園舎には多くの壁画が描かれカラフルになり、さらに流山園舎の設備としてちびっ子ハウスとテニスコートが加わりました。それ以外にも父は黒川学園に関わる人たちに喜んでもらうため、目に触れない部分でもさまざまな活動を行ってきました。そのおかげで時代の波に揺られても沈まずに、現在へと黒川学園は引き継がれています。

 

戦地から戻り、何もないところから日本一をめざした祖父と、団塊の世代に生まれ、過酷な競争社会や精神論を息苦しく思い、より良く生きる意味を考え、行動していた父。価値観に違いはありましたが、子どもたちや黒川学園を支えてくれる人たちに対する愛情、感謝の気持ちには通じるものがありました。こうした心の在り方は、時代が変わっても黒川学園の精神として受け継いでいくべきものだと考えています。

 

多様な価値観を尊重し合える環境に

三代目となる私は、2010年が終わるころ、8年間のドイツでの生活を経て黒川学園に戻ってきました。以前は「黒川学園しか知らない人間でいたくない」「世界とつながる架け橋になりたい」などと生意気なことを言い、両親や周りの人たちを困らせていましたが、この尖った時代の回り道こそが私の人生を豊かにし、視野を広げてくれたと思っています。間違ったことを言ってしまったり、失敗してしまうこともあります。でもそこから学ぶことで少し成長できます。子どもたちに対して大らかな気持ちで関わっていけるようになったのも、多くの失敗をし、模範的とは言えない、でも面白いと思える生き方をしてきたからこそだと思っています。

 

人が成長し、能力を発揮するには、周りが温かく見守る必要があります。だから黒川学園の職員や子どもたちには、失敗から学んで、豊かな人間性を身につけてもらいたいと思っています。そうなれば結果として、失敗も財産になるのです。世の中の失敗の中で、命に関わるような失敗はほんの一部です。ですから小さなことに目くじらを立てるのではなく、多様な価値観を尊重し合える、大らかさのある学び舎でありたい。そのような環境にあってこそ私たちの能力は存分に発揮されるものだと思っています。

 

このあいさつの内容のように、紆余曲折を経てたどり着いた今の自分ですが、現在の立場にいるからには迷走しては周りが困ります。ですから最後に「黒川学園の今までの歴史、そして支えてくれた方々への感謝と敬意を忘れない」という気持ち、そして「黒川学園をより人々に必要とされる場所にし、ここで過ごした子どもたちやご家族、職員、日々関わる人々に豊かな時間を提供し続けたい」という思いを心の中心に置き、黒川学園のために力を尽くしていくことを約束し、結びとさせていただきます。


私の一冊

『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』

(米原万里著/角川文庫)


ロシア語の通訳者でもある米原万里さんが少女時代を過ごしたチェコのプラハ──私が世界一好きな街です──を舞台にした実話です。30年の時を経て3人の友人と果たすまでの再会のストーリーには、人生を必死に生きていく大切さが描かれています。



流山園舎園長からのごあいさつ

どの子にもある「光る一つ」を見つけたい

千葉県流山市の田畑に囲まれた大自然の中、赤い屋根の長い平屋の園舎が建っています。桜が咲き、カエルの大合唱、赤トンボが飛び、稲穂が実り、木枯らしが舞う。そこにはいつも、元気な子どもたちの声と笑顔にあふれています。それが黒川幼稚園の流山園舎です。

 

「君は、あいさつも返事も良いから合格。ここで勤めてください」という言葉が今、私がここにいる始まりの日でした。それからは、どの子にもある「光る一つ」を見つけられる先生、常に子どものそばにいる先生でありたいと思いながら園児たちとかかわる毎日を過ごしています。

 

いろいろな経験や体験をして「大きくなったら何になりたい、こんなことがしたい」と夢の持てる子、人生を自分で切り開いていける強い子、楽しめる子、感謝できる子でいてほしいと思っています。黒川幼稚園の子どもたちはとにかく元気です。登園してくると「おはようございます!」と言って飛びついてきます。自分のやりたいことを見つけて遊びます。今が楽しくて、生きるパワーに溢れています。

 

一斉保育では「やる時はやる」「遊ぶときは遊ぶ」とめりはりをつけて生活します。そして、どの先生も全員をかわいがり、笑って対話する姿があちこちで見られます。人生で一番初めに出会う先生が優しい大好きな先生であれば、この先で出会う先生もきっと好きになれるはず、と思えます。子どもたちは先生のことが大好きだからこそ、安心してのびのびと生活できるのです。

 

卒園後も小学3年生、6年生、20歳になると、同窓会があります。担任だった先生や、一緒に過ごした友だちと再会します。20歳になれば夢を語る子もいます。たくましくなった姿がまぶしいです。そして、いずれ立派な大人となり父、母となって帰ってきます。黒川幼稚園は「ここが故郷、第2の我が家」でありたいと思っています。

 

2度と戻ることのない大切な幼児期を、大自然の中で、優しい先生、ゆかいな仲間と楽しい幼稚園生活を送ってほしいです。

 

今、根っこにたくさんの栄養を。そして、自分らしい未来の花が咲きますように──。

臼井 ひろみ

Hiromi USUI

黒川学園 流山園舎 園長

資格:心療カウンセラー


私の一冊

『シニガミさん』

(宮西達也 著/えほんの社)


小学生のころは図書室で本を借り図書カードをいっぱいにしていました。本を読んで、その世界に入り込み、時に主人公になり、泣き、笑い、考えこれらの経験は今の私の根底にあると思えます。高校生になり将来の夢を現実と考え始めたころから絵本を集め始めました。特に好きな作家は、宮西達也さんです。絵のタッチがやわらかく、どのキャラクターも愛らしい。泣ける、笑える、感動する本を多くつくっています。

 

特に私の好きな一冊は、『シニガミさん』です。本のタイトルもインパクト大で、絵本の表紙は真っ黒で怪しげな顔。本を開くと「だれでも、じぶんが うまれた日 たんじょうびは しっています。でも、じぶんが 死ぬ日を しっているひとは だれもいません。それが わかるのは、その日を きめるのは わたくし シニガミでございます」の見開き。気のやさしいオオカミと病気のコブタの物語が始まります。

 

子どもたちに読むとまずは静かに、ちょっと恐る恐るな感じで本を見つめる子、だんだん顔をしかめる子、泣きそうな顔をする子と、反応はさまざまですが、だんだん本に引き込まれていきます。ところどころにいるシニガミさん探しも楽しい。シリアスな物語なようで大どんでん返しのような結末。すっきり最高。心の根っこに優しさがあふれる作品です。